んがお工房の桜めぐり
2015年あちこち桜追いA
石戸蒲桜
2015年の桜の季節。 しかしどういうワケか、桜によい週末に限って、天候がよくない。 全国どこに行っても雨だぞ〜という感じで、お花見には本当によろしくないめぐりあわせになっていた。 桜追いをするにあたって、4月の第一週は県内の桜はまだつぼみが固いので、どうしても県外の桜になる。しかも、新潟県から外に出るには高い山を越えた向こうに行く必要がある。距離があるのでなかなか行くのに根性がいるのだ。 3月からすでに開花のニュースが流れていた関東の桜を見るにはいい時期だが、関東の桜には人が集中するからな〜。混雑はイヤだよな〜、というのも行かないでいた理由でもある。 ところが、雨。 今年は桜追いに雨が手を貸した。 |
石戸蒲ザクラ 国指定天然記念物。 樹齢800年以上の古木で、 ヤマザクラとエドヒガンの自然雑種。 世界でこの1本しかない、と、ガイドの おじさんが力説していた。 大正時代に建てられた石碑。 天然紀念物の文字が。 さすがに800年の古木だ。 何本もの支柱で支えられている。 現存しているのは、 4本あった幹のうちの1本と孫生えだそうだ。 昔は幹に板石塔婆がたくさん立てかけられていた。 樹勢回復のためか、 塔婆は別の場所に移され、 今は写真の祠があるだけだ。 どっちが親でどっちが孫生えかしらん。 この太さの幹が4本あった当時は 本当に大きかっただろう。 足元は隙間なく花びらの絨毯だ。 花のアップ。 特徴的なのが蕊の長さ。 梅くらいぴょんぴょん長い。 だから花びらが白っぽくても、 ピンクの花に見える。 畑を挟んで向こうに見える蒲ザクラ。 桜の木の右下にお堂の屋根が見える。 実は大きな木なんです。 |
4月5日 この日も関東も含めて雨がちの天気予報だった。 どこに行こうか、どの桜が見ごろだろうか、というので探してヒットしたのが石戸蒲桜である。 実は桜追いと自負している我々なのだが、日本五大桜は3つしか見ていない。 ちなみに、五大桜とは、「山高神代桜」「根尾谷薄墨桜」「三春滝桜」「石戸蒲ザクラ」「狩宿の下馬桜」である。 そのうち、、「山高神代桜」「根尾谷薄墨桜」「三春滝桜」は三大巨桜というそうで、我々はその三本しか見たことがなかったのである。 なんであとの二本を見逃していたかといえば、関東にあるということと、開花の時期がいまひとつ合わなかったことだ。 今年はめでたく週末が雨となり、我々は関東まで出向くことにした。 なにせ、雨。雨に桜を見に来る人はあまりいないが、草花とちがって樹木の花は雨でもちゃんと開いてくれる。 写真撮影しようと思うと雨ではよい写真はできないかもしれないが、桜を見るためだけであれば、混雑を避けられる雨の日は実は桜追いには都合のよい日なのである。 しかし、蒲桜のある北本市って、どこだ? どうも今ひとつピンとこない。行って来た今でもピンとこない。 ナビに案内されるまま、関越道の鶴ヶ島ジャンクションで圏央道に入り、桶川北本ICで下された。えーと、ここは、どこ? とにかく、さすがに五大桜なのでナビにもちゃんと入っていて、しっかり案内してくれた。 インターからほんのすぐで看板が出ていて、案内通りにちょっとした細い道を曲がって行くと広い駐車場になった。お昼ちょうどくらいの時間だったのに、まだ半分も自動車が入っていない状態だ。さすが雨。 雨は小雨程度で、傘をささずに歩いても問題のないくらいの降りだった。 駐車場から通りに出て正面から桜の咲いている東光寺に行くのが当たり前のルートらしいが、奥の方からショートカットできる道もある。 人がそっちから歩いて来たので我々もそっちに向かって歩いた。 駐車場と寺を隔てる小さな用水を渡って、裏手から寺に入る。 駐車場と用水の間には桜が植えられていて、なかなか綺麗だ。 寺の前には出店、というか、特設店というか、北本市のご当地カレーらしい「トマトカレー」なんていうものも売っていた。ただ、雨なのであまり人も出ていなくて、お昼時にもかかわらずお客もいなかったのが残念。 東光寺は、お寺とはいえ、大伽藍といった感じではなく、ほんとうにちっちゃなお寺だ。寺というよりは、どちらかというと鎮守の神様みたいに見える。 ちょっと階段を登ってから境内になるのだが、その手前にも立派な桜の木があった。 けっこうな老木のソメイヨシノで、北本市の指定保護樹木のプレートがつけられていた。 階段を登ると、かなり狭い境内にたくさんの人がひしめいていた。いや、人数的には30人くらいだったと思うが、なにせ場所が狭いのだ。 小さなお堂の前で、ボランティアおぼしき人が蒲桜について細かく説明しているのを大半の人が効いている。 なかなか面白おかしく話す人なので、ひきつけられているらしい。 このチャンスに我々は耳は説明を聞き、体が桜を撮影する、という行動をとった。狭いから、そういう芸当もできるのだ。 蒲桜は満開をぎりぎりで過ぎたくらいの咲かげんだった。 その代わりに落ちた花びらが足元にびっしりと敷き詰められていて、本当にピンクの敷物みたいになっていた。 いやぁ、綺麗だなぁ。 敷地が狭い分だけ、桜の枝が頭上いっぱいに広がって、空一面桜に見える。 説明によると、この木はかなり樹勢が衰えてしまって、今は4本ある幹のうちの1本しか残っていないとのこと。しかも、その1本も花があまりつかなくなって、懸命の回復努力の結果、今年ふっくらと咲くようになったとか。ボランティアのおじさんの言葉によれば、去年見た人は蒲桜はさみしい桜だと思っているだろうが今年の人はよかったですよ、とのこと。 さらに、おじさんの言葉によれば、桜の前に建てられている碑の天然紀念物の紀の字が記という言辺の記ではないのは、大正の時代に建てられた碑だからだそうで、決して誤字ではないそうな。 そういう説明を覚えていて、後日山高神代桜の碑を見てみたら、やっぱり紀の文字が使われていた。ガイドさんの説明は聞いておくべきだ。 一通り桜の周りをまわって、境内にある一見トイレに見える(こらこら)コンクリートの小屋に入ると、以前は桜の周りに建てられていた板石塔婆が納められていた。人の背丈ほどもある板状の石版で、供養塔らしい。古いものは1233年の銘があるそうで、説によれば源範頼の供養塔とか。 いただいたパンフレットによれば、蒲桜は源範頼が石戸宿に逃れてきて、その時についていた杖が蒲ザクラになったとのこと。(歴女ではないので、詳しくはないんですが、範頼はあの義経の兄ちゃんだそうで、鎌倉幕府を築いた源頼朝の弟で謀反の疑いをかけられて伊豆に幽閉され、そこで亡くなったそうです。活躍していたころの呼び名の一つが「蒲冠者」(出身が蒲御厨という所だったため)というところから、蒲ザクラと言われるとか。) とにかく、お江戸に近い古木のため、逸話がなかなかあって、実は歴史好きにはたまらない桜なのかもな〜とも思った。 お寺から出て、ふと気がつくと、お寺に向かって右側に小路がついている。畑の真ん中を歩くような形だが、ちゃんとした道で、その先に行けば桜の全体像が見えそうだった。 一応、見えることは見えた。 畑を挟んでその向こう、ちょっと無粋なフェンスはあるのだが、桜全体を見通せるようになっていた。畑の人が小さな桜なども植えていて、老木との対象が楽しい。 気がつくと、桜とは正反対にある一般のお宅の庭に、白くてきれいな桜がこんもりと咲いていた。 きっと色々な人がこの桜は何ですか、と尋ねたのだろう、塀に樹齢80年ほどのオオシマザクラだという説明のプレートがつけられていた。 近くの家のお庭はみんな綺麗で花がたくさん咲いていた。 桜の時期は観光客がたくさん来て迷惑もかかるだろうに、オオシマザクラのプレートひとつでなんとなくもてなされたような気になった。 |
さて、午後も1時をまわってしまって、お昼を食べる場所に困った。毎度カップラーメン持参の我々である。近所に公園でもないかと地図を見たら、すぐ近くに北本自然観察公園、というのがあった。自動車で10分とかからない場所だ。 行ってみたら、大きな駐車場のあるかなり大きな自然公園で、雨でなければ大勢の人でにぎわっていただろう場所である。 この池のほとりにあずまやがあったので、鴨の声を聴きながらのんびり昼食にした。 その後、せっかく来たので近所の滝を見ようと越生町の黒山三滝に向かった。近所と言っても最寄りの関越自動車道のインターが近いかな〜程度の近さなのはあとで地図を見て知った。ああ、北本市って、いまだにどのあたりなのか把握していない。 ちなみに、黒山三滝のレポはこちら。 |