んがお工房の桜めぐり


2016年福島桜追いA
会津の桜たち

2016年は、福島イヤーにすると決めたことは、桜追い@で説明した。
そんなわけで今年の桜は何がなんでも福島の桜である。
先週、北福島の桜たちを見て、福島の桜の深さを知った我々だが、たった1日くらいで分かるほど単純なものではない。
大きな福島県だ、もちろん、次の週末も、まだまだ満開の桜を追うことができた。
山間の会津地方の桜であれば、二本松の桜から一週間後でも見頃なのである。




日中線しだれ桜並木
廃線となった旧野岩羽線に整備された自転車道路に
昭和63年から植樹されたしだれ桜の並木。
上の写真は一番の見どころの桜のトンネル。
とにかく圧巻である。


概ね、こんな感じで桜は並んでいる。
桜の大きさや密度は歩いていくうちに
変わってくる。


見上げると降るような桜の花だ。


スイレンの花の黄色がまたきれいだ。
この写真は歩道を外側から撮影。



帰り道になって、日差しが当たった。
晴れているとピンク色もさえる。

4月17日
主に1本桜を中心に桜を追っている我々。
会津地方の桜を調べているうちに、今までチェックしていない桜の名所がやたら検索の上位にあることに気がついた。
日中線しだれ桜並木。
えー、しだれ桜の並木〜?思いっきり人の手で植えた公園みたいなやつじゃん〜。
最初はほぼ無視。宴会桜はあまり興味がないし、観光地の人混みも好きではない。
しかし、とにかくしつこく検索上位にあるので、チラッと調べてみた。
すごかった。
しだれ桜の枝がカーテンかオーロラか、と言わんばかりに人々の上に垂れ下がり、それがずっと続いている。
うわ〜。こりゃすごいや。こりゃ、検索上位になるわ。
いきなり見たくなった。
そもそも、桜という木は人々の文化の中で守られて根付いてきた木だ。たとえ新しい名所であろうと、人との関わりで出来上がったとしたら、1本桜と何が違うだろう。(あ、いや、宴会桜もそういう意味では同じだけどさ)
おりしも、我々が福島に行ける4月17日日曜日は雨がちな予報。
普通、雨となると桜見学を倦厭する向きもあるが、我々はそんな時こそ観光桜に足を向ける。だって、混んでないもん。
写真映えはしないが、雨でも樹木の花はちゃんと咲いてくれるので、十分に楽しむことができるのだ。
けっこうだらだらと家を出発し、時折ザーッと激しく降る雨の磐越自動車道を福島県へ。
ナビに案内されるまま、会津坂下インターで降りて、どうやら県道21号あたりを北上して喜多方市に入ったようだ。
喜多方駅近くまで来ても、空はどんよりと曇っていて、歩く人は傘をさしている状況だ。
目指す日中線しだれ桜並木は、喜多方駅から徒歩5分のところから起点になっているので、そぞろ歩いている人はそちらに向かう観光客らしい。
我々は事前に駐車場の場所を調べておいたが、調べるまでもなく案内が出ていた。
心配していた渋滞はさほどなく、喜多方商業高校跡地の臨時観光駐車場に入ることができた。やはり雨だからなのか、お昼少し前の時間で、満車ではない。
この臨時駐車場はしだれ桜並木のだいたい中間地点にある。もっとも、ここから駅までの道のりよりも、ここから先の道のりのほうが見どころが多い。
我々は駐車場から駅とは反対側に向かって歩くことにした。
歩き始めはまだ雨がぽつぽつと降っていた。
また、歩き始めは、両側に若いしだれ桜が咲いているわね、といった程度の並木道だ。木も背丈が低く、しだれ桜のボリュウムもそれほどではない。こんなもんなのかな、と歩いていくと、SLがでん、と現れた。
ピンクの並木道に真っ黒いSLは妙に似合う。

  
  
歩き始めの並木はだいたいこんなくらい。

  
  
SL。これが日中線を走っていたのかしらん。

ところで、日中線というのは、昭和59年に廃線になった東北中央縦貫鉄道「野岩羽線」の一部喜多方〜熱塩間の11.6キロの鉄道で、廃線後自転車歩行者道として整備され、しだれ桜は昭和63年に植樹されたとのことだ。
おそらくその後もどんどん植樹され続けているのだと思う。
SLを通り過ぎると、チューリップなどが植えられたりしている場所を通り、やがて、両側の桜のしだれっぷりがものすごい場所に来た。
頭上まで枝が覆って、桜のトンネルになっていた。
ソメイヨシノの桜並木はあちこちで見るし、その桜のトンネルもあちこちで味わうことができる。だが、しだれ桜のトンネルって、すごいぞ。
ずうっとお花のすだれが続いている。
うわー、うわー、うわー、という言葉にならない声だけ出して歩いた。
スイセンが桜の足元に見えると、国道459号の旧村松駅北の交差点になる。その先も桜並木は続いてるようだったが、ハイライトはここまでのようだった。
同じ道を戻ることにする。
戻る頃になると、雨はすっかり上がり、桜のトンネルを抜けるあたりで日差しも覗いてきた。桜がいっそう輝く。
一本桜にはない、数の迫力を目の当たりにした。
こんな並木道でお散歩できる近隣の人は羨ましいなぁ。でも、観光客で混雑するから、迷惑かしらん。
それでも、誇っていい桜の名所だと思う。
とてもよい光景を見ることができた。
  
 

日中線しだれ桜並木を見終えて、もう十分な満足感を得てしまった。
あとは、喜多方のラーメンでも食べて戻れば、見事な観光ドライブのコースである。が、我々はおなじみカップラーメンとおにぎり持参の貧乏桜めぐりである。
どこでカップラーメンを食べようかなぁ。
とりあえず、あらかじめ調べておいた桜を見るために次の目的地に向かうことにした。
自動車を走らせれば、いい公園でもあるかもしれないし。




慶徳稲荷神社の
しだれ桜

桜はちょっと遅かったかも。
すでに葉っぱが出ていた。
が、赤い屋根の社といい感じの桜だ。



風が吹くたびにしだれが揺れて、
なんだか生き物のようだった。




新宮熊野神社の桜
こちらもすっかり桜は終わっていた。
咲いていたら慶徳稲荷神社と同じく、
風情のある桜の風景になったと思う。
ところが、いい場所もみつけられないまま次の目的地についてしまった。
慶徳稲荷神社。ここにはしだれ桜があるらしい。
とにかく、着いてしまったからには桜を見なくちゃ。
それにしても、渋い。
人っ子一人いない。
なにやらいわれのある古い神社らしいのだが、閑散としている。
鳥居をくぐると、右側に大きな杉の木が立っていて、なんと「八幡太郎お手植えの杉」と書いてあった。
八幡太郎といえば、源頼家。看板には1091年に植えたといわれていると書いてあった。どひゃ〜、千年杉。

    
  
八幡太郎お手植えの杉とキツネの並ぶ稲荷神社。

その杉の奥にしだれ桜はあった。
小ぶりのしだれ桜で、かなり若い。でも、ちょうど神社の分社みたいな建物の隣にって、なんとも言えない風情があった。
なんというか、日本昔話に出てきそうな風景だ。
神社はどうか、と、もう少し歩いていくと、本当に誰もいない。
お稲荷さんだけあって、キツネが向かい合って座っている。
うまい具合に手水に腰かけて座れるくらいのスペースがあって、強くなってきた風もしのげるので、そこで昼食にしてしまうことにした。
お昼を食べ終わると、空が明るくなり、頭上には青空が広がった。
日本昔話の風景がさらに絵に描いたようになる。
桜がやや散り際だったので、色がさえない感じだったが、これが満開の時だったら、さぞほのぼのとした絵になっただろう。

喜多方のあたりには、もう一つチェックした神社の桜がある。
新宮熊野神社の桜だ。
新宮熊野神社も源頼家による神社らしく、まったく知らなかったのだが「お田植え神事」で有名らしい。

  
  
新宮熊野神社の立派な鳥居。

全く知らないでふらふら行ったら、なんと拝観料のいる神社で、桜1本のために拝観料はいかがなもんかな、とためらってしまった。
外側から桜が咲いていたら覗けるんじゃないかな、と裏側の道を進んでみたら、なんと境内のど真ん中に出てしまって、思い切り無賃拝観の形になってしまった。いや、桜が見たいだけだからさ。
目的の桜は、というと、もう咲き終わってしまっていて、イマイチ。
ここでも、神社の分社みたいな建物両側に桜の木があって、日本昔話的な風景を醸し出している。
この神社にも源頼家にまつわり立派な銀杏の木があり、頼家ってば、いったい何本木を植えたんだ、という気になる。

  
かなりデカい銀杏の木だった。

ちなみに、拝観料をズルして見てしまった、というか、そうとは知らずに横を通り過ぎた国指定の重要文化財の「長床」もヘンな建物〜、とかなんとか思って写真に収めてます。あとで調べたら平安時代に建立された寝殿造りの建物だそうな。知らないとは恐ろしいし無礼なことです。申し訳ありませんでした。


  これが長床ですぅ。




薄墨桜
会津五桜の一つ。
会津美里町天然記念物。
オオシマザクラ系のサトザクラの一種。
と、説明看板にあったが、唯一の品種らしい。
樹齢の明記はないが、
伊佐須美神社が明神ケ岳から遷座した時からの
ご神木と書いてあったので、
もしかしたら1500年以上かも?


花は、一重もあれば八重もあるらしい。
咲き始めは中心だけがピンクだが、
咲き終わりに近づくにつれ
どんどん色が濃くなるとのこと。



扇状に広がる幹がヤマザクラっぽい。


毎年4月29日には、桜の霊をまつる
花祝祭が行われ、
花を入れた餅をつくのだそうだ。




神代桜
推定樹齢約300年のエドヒガンザクラ。
神代桜を名乗るには少し樹齢が若いが、
見た目は完全におばあちゃんだった。


主幹がすでに枯死しているようで、
この方向から見ると、ちょっと痛々しい。


実は広々とした芝生広場の一角にあり、
かなり広めに柵で囲われていて、
大事にされている感じだ。



文殊院知恵桜
樹齢不明のベニエドヒガン。
すでに葉っぱが出ていたので、
ベニエドヒガンというほどのピンクではなかった。
かなり背の高い、立派な桜だ。


あらかじめ調べておいた喜多方の桜は、実はついでみたいなものだ。喜多方市にはほかにも鏡桜など有名桜もあるのだが、開花の時期が違った。
今回の桜は主に会津美里町の桜に決めていた。
というのも、会津五桜の薄墨桜の開花がいい具合だというのだ。
薄墨桜といえば、2004年にほかの五桜とともに見たのだが、伊佐須美神社の神事のために門が閉ざされていて、門の隙間からしか見ることができなかった。そのリベンジをしないわけにはいかない。
会津美里町にはそのほかにもいくつかよい桜がある。ちょうどどの桜も見頃なので、桜めぐりにはちょうどいい。
と、いうことで、まずは薄墨桜さまに。
伊佐須美神社に到着すると、駐車スペースからすぐ見える高天原公園の池が桜の花びらで埋め尽くされていて、すっかり広がった青空のもと、とてもきれいだった。
しばらく薄墨桜を忘れてこちらを撮影。
それから神社の鳥居をくぐって数分の薄墨桜を目指す。

  
  
手前の白い部分がみんな桜の花びらです。写真ではうまく伝わらないなぁ。

  
  
伊佐須美神社鳥居。新社殿の完成図が示されている。

2004年に閉ざされていた門を今回はくぐることができた。
社殿は2008年に全焼し、現在は再建中の仮社殿がつつましやかに建っている。
薄墨桜は、門をくぐってすぐ左手にある。
白っぽい楚々とした花が咲く桜で、全体の大きさもそれほどではなく、幹にかけられたしめ縄がなければ、これがご神木とはわからないくらいだ。
2008年の火事の時に薄墨桜も被害にあったが、そうとわからないくらいにきれいに咲いていた。

この伊佐須美神社の周囲にはいくつかの桜がある。神社の駐車スペースに車をおいて、徒歩で回ることにしよう。
まずは、池に浮いた花びらがきれいだった高天原公園の中にある神代桜だ。
公園内にある、というのはわかっていたが、さて、公園のどの桜がそうなのだろうか。とにかく歩いてみる。
不思議なもので、桜も古木となると、求めている人を呼ぶ。
ふらふらと池とは別方向にある高い桜の木を見つけ、そちらに向かって歩いてみた。
高い桜の木は、まだまだ若い木で、周囲の緑を背景に青空と太陽を味方に輝いている。が、そのずっと向こう、芝生の広場のさらに先に何やらオーラを感じる木があった。
神代桜だ。
公園内とはいえ、ほぼ県道沿いにその古木は立っていた。
近くにテーブルをしつらえてお花見をしている団体がいる。邪魔にならないように、しかし、みっちりと神代桜を撮影した。
特に説明看板などはないが、神代桜と書かれた杭が立っていた。
二重の柵が設けられていて、芝生広場で遊ぶ人たちが根を傷めないようにとの配慮がされているようだった。
満開からやや散ってしまっていたせいか、幹の枯れた感じが痛々しく見えて、古木とはいえ300歳は桜ではまだ若いほうだよな、もうちょっと頑張れるだろうにな、と思ってしまった。樹木医などに見てもらって、樹勢回復措置をとってもらえればいいのにな。

  
  
公園内に椿の木に桜の木が倒れかかって咲いていた。

次に、文殊院知恵桜を探す。これは文殊院をみつければいいので楽勝だと思った。いや、ちゃんと知っていれば楽勝だったはずなんだが。
ざっとした地図で見たら、文殊院は伊佐須美神社の斜め向かいくらいにある。せっかくだから、伊佐須美神社の裏手にある宮川の千本桜も見ながらそぞろ歩いて向かおうか。
ごくごく近い宮川の土手に出る。
千本桜は、伊佐須美神社の対岸に見える。

  
  
宮川対岸の桜並木もちょっとピンクが褪せている。

しかし、どうも見頃を過ぎてしまったようだ。先週だったらきれいだったかもね。
などと歩いて進み、この角あたりだろう、と曲がってみた。
あれ、ないなぁ、文殊堂。
いや、あったのだ、文殊堂。
これがあちこちに「文殊さま」と書かれていて、文殊堂とは別のものだと思ってしまった。そもそも、その文殊堂は清龍寺というお寺さんだというし。文殊さまは実に雅な赤い屋根の建物で、てっきり神社だと思ってしまった。

  
これが清龍寺文殊堂。

その文殊さまに1本立派な桜があった。
立派なので、とりあえず写真を撮影。
しかし、説明看板などはなかった。
実はこの桜が知恵桜だった。が、我々は気がついていない。
見つけられずに、じゃあナビで清龍寺を探そう、ということになった。
駐車スペースに戻り、ナビで探してみる。ナビはちゃんと清龍寺を案内した。それがあるのよ、清龍寺。文殊さまの裏手の墓場。これを清龍寺だとナビは言い張るのよ。
けっこうぐるぐるとあたりを自動車で回ったが、結局わからずに諦めた。
いや、あきらめたっちゅうか、その場ではわからなかった、っちゅうか。
ちゃんと看板出しておいてよ、「知恵桜」。勘違いする我々が悪いんだけどさ。
おかげで、じっくり見ずに済ませてしまったぞ、「知恵桜」。

  
  
こんなふうに込み入った建物の間にスックと立っている。
  





馬ノ墓の種蒔桜
樹齢約300年ののベニヒガンザクラ。
散り際で、曇天だったせいか、
ベニヒガンほどの紅色ではなかった。
これは道路がわからの姿。



上の写真とは反対側から撮影。
背後に果樹畑が見える。



足元には石祠がある。



古御田の桜
樹齢不明のエドヒガンザクラ。
こちらも、紅色が濃いのでベニヒガンとも
言われているらしい。
伊佐須美神社の御正作田の跡地だった所に
立つ桜だ。



足元には石祠がいくつかあり、
さらに古御田神社という石碑も立てられている。
伊佐須美神社には日本三大田植えの一つ
高田の昼田として知られる田植えのお祭りがあり、
御田神社というのもある。
古い昔はここにその神社があったのかしらん。




米沢の千歳桜
福島県天然記念物指定。
樹齢約700年のベニヒガンザクラ。
夕刻だったので、色がくすんでしまった。



説明文を読んでびっくり。
てっきり千歳桜というのは千年生きた桜
という意味かと思った、
千歳という女性が亡くなったのを
悲しみ供養として植えたからだそうだ。
それが千年花をつけているとしたら、
千歳さんも喜んでいるだろう。



花のついていない枝もあったのだが、
花の密度は濃かった。

次に目指すのは、馬ノ墓の種蒔桜だ。
この桜については、住所くらいしか分からなかった。ナビに住所を入れてつれて行ってもらう。大きな桜であれば、ピンク色が目立ってすぐに分かるだろう。
心配するまでもなく、県道23号で宮川を渡るあたりからすでに道案内が出ていた。
道はやがて田んぼだの畑だのが広がる見通しのよいところに出た。
気がつくと、道の左路肩に数台自動車がとまっていて、カメラマンが三脚を広げている姿もある。あ、きっとあのあたりに桜があるぞ。
正解。
自動車がとまっている道からはかなり畑がわにひっこんだ場所に姿のいい桜が立っていた。いや、印象としては、座っている感じだ。ふんわりと枝を広げて、右に桃の濃いピンク、左に梨かなぁ、白い花。その花々を家来に従えて優雅に寛いでいる。
畑の向こう側にあるのだが、道路わきにカタカナで「旭の文化財タネマキザクラ」と書かれた杭が立っていた。カタカナで書くな〜。タマネギに見えるじゃないか。タマネギサクラ〜。

  
  
農道の奥に咲いているタマネギ・・・、もとい、タネマキザクラ。

農道を歩いて桜に近づくこともできる。数人が優雅な1本桜を見に来ていた。
それにしても、この桜はいい。
果樹園の真ん中に立っているのが、なんとも華やかだ。
平地に建っているので、道路方向から背後の山々を取り入れて撮影しようとすると、どうしても民家が写りこんでしまう。それを差し引いても、山梨県のわに塚の桜くらい見栄えのする桜だと思う。
我々が到着した時は、それまで晴れていた空がいきなりかき曇り、今にも降り出しそうな空になっていた。その黒い雲が背景になったせいで、浮かび上がるようなうすピンクに見えた。
桜に近づくと、その根本には石祠があり、畑を守る大樹の風格を印象づけている。
道路から反対がわから見てみると、背景が果樹畑になり、また別の美しさになった。

  
  
果樹畑の白い花がわかるからしん。

しばらく撮影しているうちに風が強くなり、本当に雨が降り出しそうになってきた。あわてて自動車に戻る。
あとは、帰路につく道すがらの桜を拾う予定だ。

と、いうことで、実は文殊院を探している時にぐるぐる回った場所あたりにある古御田の桜へ。この桜はみつけやすい、と思っていた。なにせ、県立大沼高校のグラウンドの中にあるとしっかり場所が特定されているのである。
が、わかりづらかったですぅ。
というのも、大沼高校のグラウンド、ぐるっとフェンスで取り囲まれているのだ。
自動車の車窓からではよく中が見えない。
近くにコンビニがあって、道を挟んでグラウンドがある。買い物もしないのでコンビニの駐車場はやめておいて、比較的通行量が少ないようなので道路脇に駐車してフェンスを覗き込んだ。
あった、あった。
いや〜、ホントーにグラウンドの中に立っている。
なんでこんな場所に。いや、グラウンドの中だからこそ、生き残ることができたのかもしれない。
フェンスの向こうなので近づくわけにもいかず、網目にぐりぐりカメラのレンズを差し込んで無理やり撮影した。

  
  
こんな感じでフェンスの向こう側に立ってます。

せめて桜の開花している週末くらいはグラウンドを開けてくれてもいいのに。
大粒の雨がぽつぽつ降っていたが、奇跡的に桜を撮影している間だけ晴れ間になった。多少葉っぱが出ていて遅かった感じもあるが、満開なら姿のいいきれいな桜だと思う。

我々は新潟に帰るのに西会津インターから磐越自動車道に乗るつもりだ。ナビに案内されるままに道を進んで行ったら、「虎の尾桜」の道案内があった。会津五桜の虎の尾桜は、ほかの桜よりも開花時期がかなり遅いのを知っていたので、パスすることに。が、通り過ぎたらすぐに千歳桜の道案内が現れた。
立ち寄る桜のリストにはなかったのだが、せっかくだから千歳桜に寄ってみることにした。
確か2004年にも来ているはずなのだが、記憶がない。大きな道から細い農道に入った先にこの桜はあるのだが、大きな道にバスなどがとまっていて、さすが有名桜だな、と思う。
畑のど真ん中に柵で囲われて、千歳桜は枝を広げていた。
こちらもちょっと遅かったかな、という感じなのだが、どっしり構えた姿はさすが700年の歴史を感じる。
なんだか歌舞伎の見栄を切っている役者のような感じだなぁと思った。
今回の桜のリストに入れていなかったのを申し訳なく思ってしまった。

  
  
ね、見栄を切っているような恰好でしょう?


ちなみに、ここに至って初めて「会津美里町さくら八選」というパンフレットを入手した。最後の最後に、だよ〜。これを最初から手に入れていれば、かなり計画的に回れたはずなのに。
ちなみに、会津美里町のさくら八選は、パンフレットによると、「米沢の千歳桜」「宮川の千本桜」「虎の尾桜」「馬の墓の種蒔桜」「文殊院知恵桜」「古御田の桜」「向羽黒山城跡の桜」「神代桜」で、今回我々は八選のうち6つを見たことになる。不思議なのは八選に薄墨桜が入っていないこと。やっぱりご神木は別格ですかね。



  



普賢像桜
普賢像桜というのは、桜の種類で、
花弁の中央から
2枚の葉っぱ状のしべが出ている姿が
普賢菩薩様の乗った像に似いていることから
名づけられたとか。
だがしかし、この普賢像桜はエドヒガン。



ちゃんと説明看板も立っているのにな。


それでも懸命に咲いていた。
会津美里町からほど近い新鶴のスマートインターからではなく、西会津インターから磐越道に乗って新潟に戻ろうと思ったのには、理由がある。
西会津町には、品種的に珍しい桜があるので、それを見たいと思ったのだ。
一つは普賢像桜、もう一つは楊貴妃桜。
そのうちの普賢像桜は、道の駅西会津のすぐ近くにあるというのがわかっていた。
と、いうことで、とりあえず道の駅へ。
そこに行けば、場所さえよくわからない楊貴妃桜の情報も得られると思ったのだ。
道の駅の駐車スペースに自動車を入れると、もう傍らに桜が咲いていた。
てっきりあれが普賢像桜だと思った。
でも、まあ、一応情報を見てみよう。
だが、イラスト看板にも館内にも桜の情報はなかった。あれ〜?
入口にモニターがあって、西会津の観光案内をしてくれるようだ。それのスイッチを入れてみたら、あら、ちゃんと2つの桜も紹介している。
観光案内にあるくらいなのになぁ。
まあ、あの見えているきれいな桜がきっと普賢像桜なのだろうから、と、そちらに向かって歩いてみた。
道の駅のほんの隣に咲いている桜はかなり若い桜だった。2,3本咲いているので、こんもりと大きく見えたのだ。これじゃないなぁ。
じゃあ、どれだ?
せっかく歩いたので、道の駅の裏手の民家などがある方向にも足を延ばしてみた。無いなぁ。桜はピンク色なので、それとわかるはずなんだが。
道の駅の近くというからには、見えているはずなのだ。
神代桜の項目でも書いたが、桜は、探す人を呼ぶことがある。
道の駅のすぐ裏手で、桜のピンクを探してちょっと目線を上にしていたら、うっすらとしたピンクが目に入った。
あれだ。なんだか直観した。
道の駅の建っている場所よりもやや高いこんもりした墓地にうっすらとした花があった。しかし、木は見当たらない。桜らしい木がない。
いや、あるのだ。
すっかりと朽ちた木がなんとか生き残って枝に花を咲かせていた。
丘のような場所に登って、確かにしれが普賢像桜だとわかった。立て看板が立っていた。
平成二年に西会津町の天然記念物に指定されているらしい。
それにしても。
なんとも無残な姿だろう。
朽ちるままに打ち捨てられ、まったく顧みられていない。
桜の木とわからなかったのは、主幹が折れて倒れたせいだ。倒れた主幹もそのまま放置してあった。
樹齢500年とも言われている古木を、天然記念物にまで指定しておきながらそのままほったらかして、何の手当もしないで朽ちるままにしている。
なんだか涙が出てきそうだった。
墓地ではあるが、古い墓地で、持ち主の許可がなければ何もできない状態なのかもしれないが、だとしたら天然記念物からも除外して、さらに町の観光ガイドからも削除してほしい。
それとも、町のほったらかしの体質をアピールする意図でもあるのだろうか。
どちらにしても、胸が痛い。
命あるものはいずれ消える運命とはいえ、500年生きて墓を守ってきた桜に失礼な気がした。
いいや、しかし、朽ちて土に還ることができるとしたら、それも自然の摂理かもしれない。そう思うしかない。

あとは、楊貴妃桜だが、これがついに見つけられなかった。ここ、という場所は地図で入手しているのだが、桜らしい姿がなかったのだ。かなりぐるぐる回ったがダメだった。楊貴妃桜を我々を呼んでいない。
天保5年(1834)の「狐物語敵討稲理聖記」に登場する桜らしい。品種的には、楊貴妃桜というのは、サトザクラの一種で八重桜。奈良興福寺の玄宗というお坊さんが好きだったから、とか、あまりにもきれいだったから楊貴妃になぞらえたから、という名前の由来がある。
同じ場所を2周くらい回って、諦めた。(あとで調べたら、地元の人でも知らない、ホントーに見つけづらい雑木林の中にあるらしい)
今回の会津の桜めぐり、最後はちょっと胸が痛い結果になってしまったが、これもまた桜の持つ散り際のよさを連想させるものかもしれない。
きゅうっと濃い桜めぐりの一日を楽しむことができた。


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