んがお工房の桜めぐり
2018年桜追い@
長野の桜たち
2018年の春は、いきなりやってきた。 例年だと、だんだんとあったかくなって、そろそろ早春のユキワリソウが咲いて、次にイワウチワを見に行って、と、いろいろな手順を踏んで春が深まるのに、2月のドカ雪の後遺症もないままあっという間に雪が消え、あっという間に20度以上ある日が来てしまった。 各所で3月の後半には桜満開の便りが届き、桜追いとしては、え、嘘、準備してないじゃん、と大いに慌てることになってしまった。 4月に入ってすぐの日曜日には関東の桜も終盤で、見に行くことができれば行ったのだが、この日は地元のカタクリを見に行ってしまった。 翌週、いよいよ我が家の本年の桜追いの始まりである。 ところが、ジタバタ慌てたわりに、行きたい桜が決まらなかった。 主に一本桜をメインに追いかけている我々、この日満開のいい桜を探しあぐねていたのである。 どうせ行くなら青空で満開で。そんな都合のいい場所があるだろうか。 しかも、だ。実は4月8日の天気予報は最悪だった。地元である新潟はなんと雪の予報だったのである。嘘だろう。20度超えて暑いくらいの日もあったじゃないか。自動車はみんな夏タイヤに換えているっていうのに。 いや、本当に行く場所に困った。困った末に甲信越地方の桜でその日一番の検索数のあった高田公園に次いで検索数の多い場所に決めた。 長野県松本市の弘法山古墳である。 思いっきりお花見桜だが、実に魅力的な写真が紹介されていた。 こんもりとした小山がすべてピンク色。頂上付近が緑の芝生っぽくて、そこに立つとピンクの雲の上にいるみたいになっている。ピンクの雲の中に立ちたいなぁ。単純な動機で松本市を目指した。 4月8日 いくらなんでも、予報通りの雪にはならないだろう、と目覚めてカーテンを開けると、やっぱりどんよりと曇ってはいたが、雪ではなかった。 朝食をとって、猫たちの世話をするために2階に行って、いつもより暗いな〜と思っている間にいきなりもさもさと雪が降って来た。 げ、本気降りだ。 瞬く間にあたりは真っ白になってしまった。 「あなた、大変よ〜」 ほぼ漫画のようなセリフを叫びながらダンナのもとに走ったが、今更予定変更するつもりもない。 支度をして雪がどわどわ降るなか、自動車を出発させる。 幸いなことに、ダンナの自動車はまだ冬タイヤだ。積雪していても大丈夫。近所の満開の桜の上に雪が降り積もる。今年の春は、なんだかめちゃくちゃだなぁ。 道路、白いのがわかりますか〜?右は桜なんですけど、雪が積もっているの、わかりますか〜? 午前9時ころ高速に乗り、松本を目指す。 なんと、上越市に入ったあたりですっかり青空になってしまって、出発時の雪なんか夢のようになった。 で、1時間後の風景がこれだ。北陸自動車道大潟PAあたりは、桜がきれいな場所。 途中、これも長野の桜の名所光城山を安曇野市あたりの車窓から見ながら進む。長野はいいお天気だ。 山の中央の白い縦ラインがみんな桜なのよ。すごいね。 |
弘法山古墳 切り取ると、ただの桜の林になっちゃうな。 小山が全部桜なのよ。 自動車で向かう途中の道路で撮影。 これが一番小山っぽく見えるかな。 徒歩で向かう途中で見えたもの。 いったい何本あるのかしらね。 中に入ると全部桜。 桜の途中から見下ろしても桜。 ソメイヨシノだけではなく、 色々な桜があった。 さらにわかりづらいんだけど、 アルプス公園の展望台からの遠望の古墳。 白っぽい所が全部桜なのよ。 |
出発が遅かったので、松本に着いたのは正午になってからだった。松本市内に入ってから、とにかく長い信号とそれに伴う渋滞に悩まされ、弘法山古墳に着いたのは正午過ぎ。 しかし、古墳の駐車場に入れるつもりが見事に通り過ぎてしまい、戻るとなるととんでもない渋滞ロスにハマることになりそうだ。 なにせ、ピンクの小山はよく見える。どこにその小山があるか、ちゃんと分かるのに近づけない。 道を選びつつ小さな小路に入ると、ポンと大きなスーパーの裏側に出た。おお、このスーパーったら、ものすごく駐車場が広くて、どこに駐車しても咎められそうもないぞ。 ついでにお昼もまだだから、ここでお弁当でも買って弘法山古墳で食べようじゃないか。だとすれば、立派なお客さんじゃないか。 と、手前勝手な理由をつけて、スーパーの駐車場に入れた。 菓子パンとお茶を買って、徒歩で古墳へ。歩いて5分ほどだ。 ちゃんとした駐車場を通り過ぎてしまっているワケなので、小山が見えてはいるが、裏側だったらしい。神社らしい鳥居がある場所から小山にとりつく。そういう方法で古墳に登っている人もたくさんいた。 稲荷大明神と書かれた鳥居をいくつかくぐる。 斜面に踏み跡っぽい道がついている。 が、さすがに裏側。 斜面がキツい。しかも、道らしい道はあるんだか無いんだかよくわからない。わかるのは、ものすごい数の桜が咲いているということだけだ。 その桜の咲き誇る斜面をひいひい言いながら登る。 上から子供が転がって降ってきそうなほどの斜面なのだ。 それにしてものどかだ。 お花見桜と思ったが、この桜のたくさんある斜面でシートを広げで騒いでいる団体はいない。 思い思いに散策する人がたくさんいる程度である。 いいかげん息が切れたあたりで、空を覆う桜の波がすかっと切れた。 山頂付近に出たのだ。 ここで振り返れば、ピンクの雲の中にいる感じになるはずだ。 えーと・・・。 予想通りにはならなかった。 桜のピンクが目の高さ、という感じではない。渦中にいると、意外と桜の花の密度は薄く、樹木感が濃い。桜の雲の中にいるように感じるには、きっと崖みたいな斜面じゃないと無理なんだなぁと実感。この古墳は崖というよりやっぱり小山だ。 それでも、桜越しの松本市内が見通せた。 振り返ってみた図。ピンクの雲じゃなかったね〜。 頂上は古墳らしくなっている。 桜を通りぬけて、古墳に登る人々。 もうひと登りして古墳の前まで行く。山頂には石室の跡があり、説明看板があった。 ここから、我々が登って来た反対側にちゃんと道がついていて、下ることができる。そちらがわが正式ルートだ。 桜の並木のようになっていて、桜祭りらしくぼんぼりもともされていた。 やや下ると、とてもきれいな子供たちの合唱の声が聞こえた。「花は、花は花は咲く〜」ちょっとしたステージが組まれていて、そこで合唱が発表されている。桜の只中で、清らかな子供たちの歌声は涙が出そうなほど素敵だった。後ろのほうでアルペンホルンなんかの準備もされていて、なかなか盛大な桜祭りなのだが、どんちゃん騒ぎがまったくなく、とても清楚な感じがした。 正面側は、桜まつりらしい雰囲気だ。 清らかな子供たちの歌声が響く。 そのステージの後ろ側に下って行く道があり、そっちがわは緑が濃くて、どこにでも座って休める感じだった。ぼんぼりの並ぶ道から正面に下って行けば出店などもありそうだったが、そちらには行かずに脇にそれて、草の上に座ってスーパーで買ったパンを食べた。なんか、幸せだな。 頭上は桜の花だらけ。ぽかぽかと空気は暖かい。 食べ終えて、そのまま斜面を下った。結局正面には行かずに、下った場所から小川沿いに歩いて行くとスーパーのある道に出た。 下った先のいわば裏口には龍にまたがった子供の像があった。「泉小太郎」とある。あ、これから見る予定の桜に泉小太郎の桜というのがあったよな。泉小太郎の伝説が像の下に書いてあった。 いわく、犀龍と白龍王の間にできた子供小太郎は人間として育てられたが、ある日自分が龍の子だと告げられる。かねてから湖だった松本平を豊かな土地にしたいと願っていた小太郎は母龍と心を通わせ、母にまたがり、山清路の岩盤を打ち砕いて湖の水を日本海に流して、今の松本平にしたという。 うーむ、頭の中で「坊や〜、よい子だ、ねんねしな♪」のアニメーションが展開する。あれのモデルかしらね。 もう一回スーパーに入ってトイレを借りてから、さて、次の目的地に出発だ。 泉小太郎の像。 |
次の目的地は松本城である。 このお城の敷地内に加藤清正公が馬をつないだという、清正公駒つなぎの桜といのがあるので、それを見ようというのである。 城の周辺にあるというので、ぐるりと探してみたが、どうも入場料を払わないといけない門の向こう側のようだった。 松本城は好きなお城で、あのとんでもない階段もなかなか趣があるのだが、この日は桜に惹かれた人たちがたくさん集まって、お城に入れるのは30分待ちとの案内が出ていた。 一応桜が目当てなので、天守閣まで登る必要はないのだが、入場料を払うとなれば天守閣まで行きたい。が、かなり時間が押していて、30分待ちはつらい。 駒つなぎの桜もどうやら二代目らしいので、ここは桜に囲まれたお城を写真に収めるだけで諦めることにした。 それでは、絵葉書写真をどうぞ〜。 松本城の周辺はたくさんの観光客がいたのだが、特に外国人の姿が目立った。昨今、日本の観光地は外国人であふれている。 また、湧水が豊富な場所らしく、駐車場の近くにも飲める湧水があった。汲んで帰りたかったけど、目立つからね、やめときました。 |
泉小太郎のしだれ桜 樹齢は不明。 不明ではあるが、かなりの古樹である。 泉小太郎が植えたと伝えられている。 松本平が湖だったのは、 いったいどれほど前のことなのか。 とにかく、大昔であることは確かだ。 根元には祠。 小粒の桜がびっしりと咲いていた。 ごらんの通り、松本平を見下ろす所にある。 この角度から見ると、 一番高い2本の枝が枯れているように見える。 あの枝にも花を咲かせていたとしたら、 見事な大木だっただろう。 これは、山と自然博物館のそばの桜。 ものすごく恰好のいい桜だった。 こぶしかなぁ。 真っ白い花も青空に映えていた。 |
隣県である長野ではあるが、松本市は我が家からはかなり遠い。桜めぐりも主だったものをピックアップするだけになることは覚悟していた。 次に見たいと思っていたのは、泉小太郎のしだれ桜。 そう、弘法山古墳で見たあの像の泉小太郎である。小太郎が植えた桜ということだが、樹齢は分からない。 なぜ見たいと思ったかと言えば、この桜、小高い山の上にあり、松本の町並みを見下ろしている桜なのだ。 松本城を出て、桜のあるアルプス公園に行く。 アルプス公園って、何だろう。ちゃんとナビにあったので、ナビの案内通りに行くと、途中から結構な斜面を登る山になった。さらに突き当たって左に行くと南入口、右に行くと東入口になるという案内があったので、とりあえず近いほうの南入口に向かう。 駐車場は午後3時近いのに満車に近かった。 目的の桜はどこだ? この公園、入場料がいるのか? 入口に行ってみると無料とある。 見える先に塔のような建物があり、そっちに行けば桜の情報くらいは得られそうだった。 それにしても、広い公園だ。公園っていうより、山だ。整備された山公園。あ、アルプス公園って、そういうことか。 建物に向かって歩いて行くと、左手にテラスのようになった場所があった。そこから町が見下ろせるらしい。寄り道しようと行ってみると、あ、桜の写真のついた看板があるぞ。 なになに、「泉小太郎のしだれ桜」は右の階段を下り道路の下方にあります。 看板のすぐ右に階段がある。ちょっと分かりづらいけど、この看板のおかげで桜を見つけることができた。 階段を下って行くと、小人さんの家みたいな小屋があり、その脇にも桜の位置を示す看板があった。 泉小太郎の桜の場所を案内する看板。これの写真の桜は2本の高い枝にも花がついている。 階段を下ると、まきばの丘という案内がある。三角屋根が小人さんの家(笑) さらに下って行くと、おお、あったぞ。 なんでまあ、こんなに目立たない場所に立っているんだお前。いや、目立たない場所だから、静かにゆっくりと桜を愛でることができるのだけど。 公園というよりは、公園の裏の畑、みたいな感じの場所に泉小太郎のしだれ桜は優雅に枝を広げていた。 まず下に下ってしまったものだから、見上げる形になった。 実は桜を見下ろし、その背景に松本の町並みがある図というのがこの桜を紹介していた写真なのだ。それを見るには、さっきのテラスからがいいみたいだ。 が、来てしまったからには、見上げる桜を堪能しよう。 竹の柵で囲まれているが、一面の緑が桜のすぐ根本まで続いているので、隔離されているような印象はない。足元の祠が古い木であることを物語っている。 周りには若い桜の木も植えられていて、こっちのほうに見物客が来ないのが不思議なくらい気持ちのいい空間になっていた。 我々が桜の周りでウロウロしているのが上から見えたのだろう、何人かの人がやってきた。 よし、そろそろ上から見よう。 斜面を登ると、桜の上の駐車場に出ることができた。ここは南入口の駐車場ではない。従業員用なのかはよく分からない。この駐車場の一番奥くらいが桜を見下ろすのにいい場所である。 松本平がよく見える。ここが昔々、湖だったのだ。龍に乗った子供が飛び回り、肥沃な土地が生まれた。その子供が植えた桜が現在の松本を見下ろしている。 ああ、雲が湧いているね。あの下は雨だね。ここはこんなに晴れているのに、と、ずっと向こうの天候までよく見えた。 いや、あの下、雨ではなかった。 これからそっちに向かうとは、この段階で我々は気がついていなかったんだけど。 泉小太郎の桜を見終えて、せっかく来たのだからあの塔のような場所に行ってみようということになった。山と自然博物館という場所で、展示室は有料だが展望台は無料とのこと。ありがたく無料の展望を楽しむことにした。 実はここに来る途中、遠くに弘法山古墳のピンクの小山が見下ろせる場所があったのだが、公園の中では木々が邪魔して見えなかったのだ。展望台に登ると、目論見どおり遠くにピンクの山が見えた。遠かったが、遠い分小山丸々桜であることがよく分かった。 山と自然博物館。この塔の上から見た弘法山古墳の図は、弘法山古墳の項目で紹介いたしました。 |
真光寺の桜 樹齢は不明。 桜の咲く季節には、寺全体が桜に覆われるようだ。 山門脇の桜。 青空に満開の花が映える 裏手のお墓の枝垂れ桜。 1本の木としては、これが一番大きい。 |
主だった桜をピックアップして見るつもりだったが、実は我々、松本市の地名の位置関係を全く把握していなかった。 あてにしていた緯度経度の情報が我が家のナビでは利用できなかったのである。住所はわかる。だが、それが近いのやら遠いのやらさっぱり分からない。 とりあえず、梓川という地名のある場所に行こう。松本市には梓川という川が流れているらしいから、きっと川辺の近い場所だろう。 ・・・はずれてました。 梓川というのは、合併前は松本市ではなくて梓川村という場所だった。市内からはかなり山間部に近くなる。 しかし、まあ、地名でナビに入れて走り出してしまったので、行くしかない。 梓川地区には樹齢500年の桜が1本あるのだ。多少遠くても仕方ない。 それにしても、手元の資料の住所はざっくりしている。梓川上野。かろうじてお寺の名前が分かっているのが救いだ。 お寺にある桜は樹齢は不明なのだが、そこまで行けば500年の桜も近いだろう。毎度おなじみ、行けばわかる方式である。今までそれで分からなかったことのほうが多い気がしないでもないが。 県道278号から道をそれ、村の民家の並びに入って行く。細い道に子供たちが元気よく走り回っているような道で、ちょっと注意が必要だ。幸い真光寺はナビにも入っていたので、ナビの案内どおりに右折すると、正面にもうはっきりとわかる見事な枝垂れ桜が見えた。 うわわわわ。すごい。ものすごくきれいだ。 山門まで階段が続いていて、メインの桜は山門の横にあるのだが、その下にも桜の木がある。2本合わさって、実にボリュウム豊かに風に揺れているのだ。 自動車を下りてお寺に近づく。 あ、鐘楼の裏にも大きなしだれ桜があるぞ。 その桜は山の日陰になっていて、まわりにお墓もあって、なんだか幽霊みたいに揺れていた。が、樹木としたら、こっちの桜のほうが大きいのだと思う。 まず坂道を上ってその幽霊桜を見上げた。しだれた枝が道路についてしまうくらい長く伸びている。時間的に日陰になってしまって幽玄さが増しているが、日光が当たる時間ならかなり優美な桜に違いない。 枝が地面につきそうなほど垂れている。 裏側から境内に入ることができた。 山門脇の桜を見てみる。 あれ、下から見たのと同じ桜かしらん、と思うくらい小さく見えた。階段下の桜との合わせ技はかなり効いているらしい。 もうちょっとでこの桜も日陰になってしまう。山間の桜はお日様の下にいられる時間が短いなぁ。 ここからそんなに離れていない住所に舟つなぎの桜という樹齢500年の桜がある。どこにあるかわからないし、自動車がとめられる場所にあるのかもわからない。とりあえずこのお寺の駐車場に自動車をおいておいて、徒歩で探してみることにした。 |
舟つなぎ桜 樹齢約500年。 地上五尺の周囲、九尺(2.7メートル) 樹高、四間(7.2メートル) と、立て看板にあった。 小さく写ってしまったが、巨樹です。 花数は豊かだ。 幹は500年の時を感じさせる。 たくさんの支柱に支えられていた。 はい、これが街灯、カーブミラー、電線の 三点盛りの桜です。 坂の下から見るとこうなっちゃう。 |
真光寺を背に坂を下って、子供たちが遊んでいたあたりまで歩いて行く。そこまで行けば人もいるので、尋ねられるだろう。 真光寺を背に坂道を下り、とりあえず突き当りまで行ってみたら、あら、もう人に聞くまでもなく右手に桜が見えてしまった。 真光寺に向かうために来た道を真光寺がわに曲がらずにまっすぐ進み、ちょっとだけ坂を下った場所に大きな桜の木がある。 あれに間違いないだろう。 近づくと、坂のカーブの途中に立派な立て看板のあるしだれ桜が立っていた。 舟つなぎ桜。 そんな名前だから、きっと川沿いにあるのだろうと思っていたら、山の坂の途中にあり、周辺には水っぽい場所はない。 看板によれば松本平は昔は湖で、この木に舟をつないだ、というこで。 え、松本つまり、この坂の下が全部水だったってこと? そういえば、そのキーワードは泉小太郎のくだりでも出て来た。泉小太郎がお母さん龍の背に乗って、湖を肥沃な土地にしたのだ。 きっとあちこちにそんな伝説があるんだろうなぁ。 桜は、降るように見事に咲きほこっている。 が、近くに街灯が立っているし、カーブミラーが立っているし、電線が何本も横切っているし。 お世辞にも写真映えする環境ではない。 でも、考えてれば、桜は見られる側ではない。舟をつなぐものだったように、生活に寄り添った存在だった。 桜は、見られる側ではなく、見守る側なのだ。 その見守る存在のそばに街灯やカーブミラーがあるというのは、ある意味正解なのかもしれない。 松本平が湖だったころ、この桜は目印になったことだろう。 そんな思いをはせられる桜だった。 実に簡潔に情報を伝える立て看板。 真光寺から坂を下って、突き当り、ふと右手を見ると遠くにピンクの塊。 坂を下ってカーブの途中にある。 |
自動車をとめ場所があったし、こんなに分かりやすい場所だったなら、自動車で来ればよかったね、この先、日没までの時間との戦いにになるのにね。などと話しながらへ真光寺徒歩で戻る。 桜の場所を把握していた人があとから自動車で来て、楽々撮影して行くのをちょっと羨ましく思ったりして。 しかし、労力を払うと、時々自然は素晴らしい見返りをくれるものである。 真光寺の豊かな桜を突き当りに見て道を歩いて行くと、なにやらふわふわと空中に舞うものがあった。 最初なにか植物の綿毛だと思った。 いや、ちがうぞ。 手の甲に乗ったそれは、するっと消えてしまった。 雪だ。 空は青空。 西日が差しこんでいる。 しかし、雪が風にのって山からここまで飛んで来ているのだ。 アルプス公園で、あの雲の下は雨だねと話した雲は、実は雪を降らせていたのである。 犬を散歩している地元のご婦人が花びらか雪かわからないわね、と言って笑っていた。 雪は太陽を反射して、キラキラ光りながら降っている。その奥にピンク色の桜が揺れている。 すばらしい光景だった。 歩いて損はなかったね。 白いつぶつぶに写っているのが雪。キラキラ光って本当にきれいだった。 |
南小倉の桜 樹齢約400年。 この日はやや花も終わり加減。 昔は上に伸びた2本の枝ももっと立派だったのだろう。 ちょっと終わり近い花だった。 北小倉の桜 樹齢約400年の枝垂桜。 山を背景に豊かに枝を広げている。 1本だけでこの存在感はすごい。 畑のあぜ道に入って撮影。 やっぱり遠くから見たほうがいいみたい。 見上げて見る。 空高く主幹が伸びている。 坂の上から振り返って撮影。 高い位置にあるので、集落を見下ろしている。 |
さあ、日没もいよいよ近い。 あとは本当に最後の桜だ。 松本方面に来て、この桜だけは見ておきたい桜があった。 北小倉の桜。1本桜好きであれば、見ておいたほうが絶対にいい桜だという。だが、相変わらず場所が分からない。分からないけど、桜は人を呼ぶのよ。来て欲しい人に紐をくっつけて、引っ張ってくれるのよ。 と、根拠のない確信をもって、とにかく小倉という地名の場所に行く。 小倉には南小倉の桜というのがあって、これば県道25号沿いにあるというので、これが手掛かりになるだろう。 はたして。 南小倉の桜はすぐに見つかった。 ってか、このあたり、実は桜めぐりで来たことのある場所である。道すがら、あの木も見たね、ここも来たね、という場所だった。 つまり、南小倉の桜も取材済みである。(2006年の高遠城跡のさくらのついでに行っている。) 記憶にないのが恐ろしい。 もっとも、その時は南小倉の桜ではなくて、「糸さくら」と紹介しているので、2つが同じものだと気がつかなくても仕方がない。 足元に建てられている杭に「南小倉のシダレヒガンの巨木」とあり、安曇野市の天然記念物になっている。 前に来たときは、たしかまだ三郷村だったはずだ。 県道をはさんで向かい側に墓守の立派な枝垂れ桜が3本あり、どうしてもそちらのほうに目が行ってしまうが、実はこのちょっとおばあちゃんっぽい桜のほうが樹齢が深い。でも、巨木って言うほど巨木じゃないと思うよ。 墓守の3本の枝垂桜とは県道を挟んで並んでいる。 見たことのある桜だと分かったので、ざっと撮影して、すぐに北小倉の桜に向かうことにした。 ここが南小倉だとしたら、北小倉はこっちの方角しかないだろう、と南小倉の桜のすぐ近くから県道25号から分かれる小路を選択。 方角だけの推測で完全にあてずっぽうながら、ちゃんと桜に導かれた。 坂道をどんどんと登って行く。 山と山に挟まれた小さな谷のような地形の一番奥に向かって行くような道だ。 こっちじゃないのかな、という思いも頭をよぎったが、すぐビンゴだったと分かった。 谷の奥まったほうに、大きなピンクの塊が見えた。 巨木だ。 とんでもなく豊かな広がりを持つ背の高い桜の木が我々を待っていた。 畑を挟んで向こう側にその桜は立っている。 すでに何台かの自動車が道路の脇にとまっていて、桜を撮影しているカメラマンがいた。我々も仲間にいれさせてもらう。 畑の向こう側なので、近づくのは難しいかと思われたが、小路が桜にむかってついていて、近づけないわけではなかった。 ただ、どう見ても個人宅の敷地である。ほかのカメラマンが入っていっているのは分かるが、不法侵入じゃないの、とチラと思う。 いや、でも、畑だし。桜だし。 かなり心の中で葛藤して、手早く撮影して戻るべし、と畑の小路に入り込んだ。 近づくとその豊かな咲き具合の割に幹がそれほど太くないのが分かる。太くはないが、背は高い。上へ上へと延びている印象がある。 気が付くと、足元に「増田増重家之桜」とあった。うむ、個人所有の桜だ。 ありがとう、増田増重さん。よくぞこの桜を守ってくれた。おかげで我々は胸をつかまれるような感動を味わうことができる。 桜の根元からそのまま集落に入る細い道に出ることができる。 そこから振り返ると、また違った表情の北小倉の桜を見ることができた。 やや高台にある谷の奥の桜は、小倉の集落を見下ろしている。 山の緑を背景にする桜もいいが、人々の暮らしを見下ろしている桜はもっとも桜らしいと思う。 谷合の早い日没、西日を受けて、今日も桜は町を見おろす。 自動車に戻ろうとよく見てみると、あれ、桜の根元で草取りをしている人がいる。増田さんかもしれない。カメラマンだとばっかり思っていたけど、近くを通った時にお礼をすればよかったな。 でも、ずけずけと畑に入り込んだ我々を咎めもせずにいてくれたんだな。 花の時期だけ狂乱する我々だけど、それを許してくれることに、本当に感謝したい。 全国の桜の持ち主である人たち、本当にすみません、本当にありがとう。 日没前にすばらしい桜を見ることができて、すっかりお腹いっぱいになってしまった。この地区にはまだ何本か桜があるのだが、それはまた次の機会に残しておこう。 高速道路を乗り継いで新潟まで戻ると、朝の雪などすっかり消えて、当たり前の春の夜になっていた。近所の桜の満開も今日までかな。さあ、来週はどこに行こうかな。 |