んがお工房の桜めぐり
2008年福島の桜めぐりA
2008年4月20日(日) とりあえず有名桜である合戦場の桜とその周辺にある新殿神社の桜、福田寺の枝垂桜を見たので、次なるターゲットを求めて国道459号線を二本松市街方面に向かって進んだ。と、交差点のそばにある役場っぽい建物のそばに「いわしろ観光ロードマップ」なるものを発見。そこにはいくつかの桜のありかも書いてあったので、デジカメで撮影して今後の道案内の一つにさせてもらった。 ロードマップの画像はここから。 その場所から一番近いのは、あらかじめ岩代観光協会のページで調べておいた「十石畑の桜」なので、それを探してみようということになった。いわしろ観光ロードマップに十石畑古戦場跡というのを見つけ、だいたいこのあたりだという所まで行ってみた。 が、それらしき桜の姿が無い。かなりうろうろしたが、ついに見つけられずに諦めた。では、次はマップにも載っている追猪の桜に行ってみよう。 |
箱石の追猪の桜 樹齢約280年の江戸彼岸。 昔、村人が猪狩りをした時に 猪をこの木に追い込んだことから 名まえがついたそうだが、 なんて読むのかわからない(←こらこら) 杉林を背景にした上の写真の方向もいいが、 一番最初に目にはいる、 山々を望む方向からもなかなかいい。 |
追猪の桜はいわしろ観光ロードマップにもきっちり描かれている。 だが、利用してみようとすると、このイラスト看板は実におおざっぱに書かれていて、道案内には甚だ心もとないことがわかった。だいたいの方向が分かる程度なのである。 とにかく、ロードマップによると、滝の湯という場所が国道459号線から追猪の桜への曲がり角の目印になるらしい。 国道を走りながら、滝の湯を探す。滝の湯、滝の湯。 あ、あった、看板。 どうも温泉っぽい看板があるのだが、さて、その建物はどこにあるんだ? よくわからないので、だいたいそのあたりなんじゃなかろうか、という場所で右に折れてみた。ものすごく細い道になり、坂になり、ぐるぐる回り、学校っぽい場所に出てしまった。 げげ、桜といえば、学校の校庭の桜しか無いじゃないか。 これは困った。 もう一度国道459号に戻る。だいぶ二本松市街寄りに来てしまった。追猪の桜が滝の湯のあたりから入るとしたら、また戻らなければならない。 戻りつつ、滝の湯ではなくて、滝の橋という橋を渡った所に、あら、まあ、案内の看板があるじゃありませんか〜。 滝の橋を背にして、左折方向に「追猪の桜」、右折方向に「伊三郎の桜」と小さいながらもはっきりとした案内の看板がある。 これは、二本松市方面から進んで来ないと見えない。船引方面から進んで行った我々は見落としても仕方が無い感じなのだ。 とにかく、案内があったので左折。なだらかな丘陵地の民家もないような場所を広い道が通っている。 注意深く走っていると、ようやくのこと、再び小さな案内看板が出現した。その案内にしたがって進んで行くと、道の終点に集落とも一軒家ともいえないような民家があり、舗装されていない農道に変わった道の向こう側に美しい桜木が見えた。あれが追猪の桜に違いない。 民家の手前に3台程度駐車できる場所が確保されていて、カメラマンらしい人たちがすでに駐車していた。幸い1台出発するところだったので、その場所に滑り込む。 農道は自動車ではちょっと入りづらいくらいの道で、長靴で来ればよかったというくらいにぬかるんでいた。 5分も歩かずに桜のもとに来ることができる。 今まさに満開。あと1日たてば散り始めるくらいの咲き誇り方だった。いや、もう散りはじめている。風が吹くとはらはらと花びらが手元に来た。 なんだか、すごい桜だぞ。 とにかく大きい。岩代観光協会によると、桜の木の高さで言えば福島県内3位の高さだそうで、見た目にも圧倒されるくらいに大きい。 駐車スペースから進んで行くと、背景が山々になる。遠い山々にまだ雪が残っていて、桜がそれを見下ろしているように見える。 桜の向かい側に休耕田なのか畑なのか、とにかく広い空き地があり、そこから桜を正面から見ることができる。広いので充分に後ろに下がって見ることも、ギリギリ接近してみることも可能だ。 我々のほかにはカメラマンが3人しかいなかった。 この立派な桜を思う存分堪能することができた。 |
思いがけず、素晴らしい桜をじっくり堪能することができた。が、いいかげん空腹になってきた。もうそろそろお昼である。花見のお弁当でも広げたいところだが、我々の昼食はバーナーでお湯を沸かしてカップラーメンと決まっている。 追猪の桜前の空き地でもよかったのだが、カメラマンたちに遠慮した。 ちょうどこの桜に来るまでの道の途中に樹齢10年にもなっていないような小さな桜の木が3本ほど植えられている空き地があるのをみつけていた。そこで昼食にする。 遠くにおそらく安達太良山だろう山並みを見ながら、うららかな春の日差しの下昼食にした。 公園でもなんでもないただの空き地だったので、通過する自動車が奇異の目で見ているような気がしないでもなかったが、ま、いいか。 |
窪桜 樹齢約280年のエドヒガン。 看板によると、安齋善吉という方の 七代目の祖先で、初代の吉次右門さんが この安齋窪に移り住んだ時に植えた桜で、 二本松の藩主が籠を止めて 桜をながめたという言い伝えがある桜だとか。 しかし、吉次右門さん、 どうしてこの斜面に植えたんだか。 ご覧のとおり、必死に斜面にしがみつき、 がんばって咲いている。 これはお椀の内側の中間部分から 見上げた図。 空いっぱい桜の花が広がって、 お殿様でなくても、 しばし立ち止まって眺めてしまう。 |
おなかも満たされたところで、次なる桜を目指すことにした。 追猪の桜の位置からすると、滝の橋の看板のところから伊三郎桜を探しに行くよりは、もう一本の桜に行ったほうが近いんじゃないか、ということになった。 その桜は「窪桜」。 岩代観光協会のページにきっちりと紹介されているのだが、他の桜のように所在地が書かれていない桜だ。 どうやって場所を特定したかと言うと、個人の桜をめぐる方のHPに緯度経度が示されていたのである。これならナビに入れれば勝手に案内してくれるはずだ。 ちなみに、その緯度経度は北緯37度34分16秒、東経140度30分16秒。 実に気楽に滝の橋を通過して、国道459号を二本松市街方面に進む。国道459号が県道40号と同居している部分を通り過ぎて、左折すると国道、直進は県道、という場所になり、ナビは国道方面を示した。 ナビの通りに左折。このまま国道を走るのかと思ったら、すぐに右折せよ、と言う。え、この道?ここに入るの?という場所に入り込んだら、どこかの工場の敷地だった。 ナビの嘘つき〜。 いや、この段階で我々は手前に1本道があるのを見落としているのである。頭からナビの嘘つきと信じ込み、工場の敷地を出て、もう少し先にある道にから右折してみた。ナビには緯度経度の場所にゴールの旗が立っている。その旗に近づくように運転していけば、桜だもの、ピンクが目だってわかるに違いない。 わからなかった。 そりゃそうだ、道が違うんだもの。 我々が入った道はゴールの旗から少しはずれた場所を進んでいる。しかし、ゴールの旗のあたりに道なんかナビ上にもないじゃないか。 いかん、旗のそばを通り越した。お、道がある。ここを右折すれば旗に近づくぞ。 と、そんなことを繰り返し、旗に近づいているはずなのに桜が無いと焦りつつ、このまま進むとまた国道459に戻ってしまうぞ、という道に出た。かなり旗には近いはずなんだが。慎重に坂道を下って行くと、あ、あった、立て看板。 木製のちっちゃい屋根つきの立て看板にただ窪桜、とだけある。どうも民家につづく私道のようだ。 細い道なのでその場に駐車するわけにはいかず、わき道のある場所でターンして、看板を通り越し、また坂道を上がって、三叉路になっている場所にあったわずかな路肩に駐車した。 坂をてくてく歩いて行く。 看板のある道の奥には、立派なログハウス調の民家があり、窪桜はそのさらに奥にある。だが、道はログハウスに通じているので、途中から道をはずれて、山のほうにぐいっと登る必要がある。 一応踏み跡はついているのだが、なんとなーく民家に不法侵入するような気分になってしまう。私たちは桜を見に来たんですよ〜。 前方に続く道はログハウスに通じる。林道っぽい道から斜めに切り込んでいる道だ。右端に窪桜の看板。赤い矢印のようにログハウス方向に行かずにそれて山の方向に行く。 さて、桜は窪桜というだけあって、なんとなく臼のようなくぼ地になっている場所の斜面に立っている。巨大なお椀の内側からにょきっと出ている感じだ。(とはいえ、そのお椀は半分欠けたお椀なんだが) お椀の底から桜に向かって踏み跡がついていて、桜の直下には一応階段を作ったらしい跡もあるのだが、桜まで続いていない。こら、諦めずに最後までつけろ、と唸りながら斜面を登る私。 一方、ダンナは別方向の登りやすそうな場所が登って、さっさと桜を撮影していた。 窪桜の前にはちゃんと説明看板がついていて、その言われなどがわかるようになっているのだが、そもそも所在地がわからないのでは、ここにたどり着ける人がどれほどいることだろう。 こんなに素晴らしい桜なのに、もったいないことだ。 なにせ、桜の咲きっぷりよりも、この斜面にガッシリと根を張っている姿がいい。咲いていなくても、この根っこだけ見るのでも価値があると思う。 この桜の裏側にお椀の縁のように細い道がついている。 入って来たのとは別方向に歩いて行くと、民家なのか農機具用の倉庫なのか、人けのない建物に出た。この家は、ずっと窪桜を見続けている家だ。 その民家の庭先を通り抜ける感じでさらに進むと、我々が自動車をとめた三叉路に出た。なるほど、ここから坂を下ってお椀の底にたどりつき、斜面をよじのぼって桜を見ながらお椀の縁にたどりついて、また戻って来たわけだ。 なかなか見ごたえのある桜で、迷ってまで捜し求めてよかったと思った。 ちなみに、窪桜にたどりつく入り口は、船引方面から二本松市街方面に進むと、国道459号は小浜城跡あたりでいったん右折して県道40号と同居する。しばらくそのまま走り、今度は二本松市街がわに左折して県道40号と分かれる。この交差点で左折して、ごくごくすぐ、ものすごく近くで右折する細い道がある。この道に入れば、あとは注意深く上の写真の看板を探せばよい。看板は国道459号から入った場合は右側にある。 右側に立派なログハウス風の民家があったら、少しだけ通り過ぎた、と思ってよい。 |
追猪の桜についで、思いがけず素晴らしい窪桜を見ることができて、かなり気分が高揚してきた。 つづいて目指すは伊三郎桜である。これはさっき目印になる看板をみつけていたので、行くのは簡単だろう。 と、いうことで、国道459号をまたしても船引方面に向かって引き返した。 |
山中の伊三郎桜 樹齢約380年のエドヒガン。 看板には、「昔この地に 伊三郎という風流な人がいて、 日がな一日桜の根元で琵琶を 弾き語っていた。 いつしか人々はこの桜を 伊三郎桜と呼ぶようになった」 と書かれていた。 伊三郎が琵琶を弾いていた根元。 高い枝々をしっかり支えている。 |
例の「滝の橋」まで引き返し、今度は二本松市街方面から行ったので見落とすこともなくきっちり看板をみつけ、きっちりと右折。意外なことに道はけっこう細く、山がちな場所を登って行く感じになった。 しばらく走ると、なんだか民話の中に出てきそうな集落に入り、あ、あれにちがいない、というものすごく背の高い桜木が目に入った。 道案内された道はちょうど桜の裏手になるらしいが、そこにもちゃんと「山中の伊三郎桜」と看板が出ていた。 看板のすぐそばにがんばれば3台ほど駐車できそうなスペースがあり、そこに駐車。 桜の正面にまわってみる。 茅葺だったらさぞ味があるだろう民家は、茅葺にトタンのカバーをかけたような銀色の屋根をしていて、しかし、それが青空と桜のピンクとによく似合って、本当に民話の世界のようだった。 桜の前に、その家の家人の手によるものなのか、味わい深い毛筆で桜のいわれの書かれた看板が立っていた。 ただ、桜があまりに背が高すぎて、そばに寄ったら何がなんだよくわからない。 さりとて、遠く離れるわけにもいかない集落のまんなかにある。 どうしたもんだとあたりを見回して、ふとダンナがあそこがいいと目をつけたのが、駐車した場所のすぐそばにある別の民家。 桜の裏がわのちょっと高い場所に民家があり、そこに向かうアプローチをちょっとお借りして、左欄の一番上の写真を撮影することができた。どうもすみません、身勝手なカメラマンやってしまって。そうしないと桜の全景が撮れなかったもんで。 それにしても、この桜もものすごい存在感だ。 岩代の桜たちは、三春に隠れがちだが、桜めぐりするだけの価値がある。 |
岩代観光協会のホームページに載っている岩代の一本桜は、以下の通りである。 立石稲荷のしだれ桜 伊三郎桜 窪桜 追猪の桜 人待地蔵桜 十石畑の桜 合戦場のしだれ桜 福田寺の糸桜 新殿神社のいわ桜 平石田の縄文桜 このうち、十石畑はみつけられないままだし、人待地蔵は見落とした。平石田は一本桜というよりは、何本かまとまっている感じだし。 そんなこんなで、あとに残るのは立石稲荷のしだれ桜だけになった。 |
立石稲荷の枝垂桜 小さく写ってしまっているが、 赤い鳥居は人が充分立ってくぐれる 大きさがある。 つっかえ棒に支えられた枝。 花は終わったのか咲かないのか、 緑の葉が出ていた。 |
白状するが、この桜にはどうたどり着いたのか、さっぱり記憶がない。 何せ、手元の資料にはどこにある桜か、成田という地名しか書かれていないのである。 恐らく、ナビにその地名を入れて、とりあえず近くに行ってみて探そうと思ったら、なんのことはない道すがらに看板があってすぐに見つけられたのだと思う。 岩代観光協会のHPで、鳥居の赤と桜のつっかえ棒がやたらにミスマッチで、気になっていた桜だった。 が、現実に見てみると、ちっちゃい。 ちっちゃい上に、つっかえ棒の先の枝が病気か何かで、すっかり葉桜になっていて、風情もなにもない状態だった。 これでこの枝も咲き誇っていたら、なんともおもしろい桜という印象になっただろうのに。 せっかくのつっかえ棒も枝の寿命を伸ばす役にはたたなかったらしい。 と、今ホームページの写真と我々が見た桜の写真を見比べてみたら、向かって左側に存在していたはずの大きな枝が一本ない。花のボリュームというか木全体の大きさが半分になってしまっている。 これは、雪害で失ったものなのか、ちょっと惜しい感じがする。 立石稲荷へは、県道40号を岩代から三春方面に向かって走り、途中で右に分かれている県道118号に入る。しばらく田んぼなかの快適な道を走って行くと、右側に下のような看板があり、その矢印の先にある。 県道から撮影。この看板を見落とさなければみつけられる。 |
尻つぼみな感じで岩代の桜めぐりは終了してしまった。 時刻はまだ午後2時だいぶ前である。このまま帰るには惜しい時間だ。 そこで、岩代から出て、二本松市のほかの桜をめぐることにした。 一応事前にネットで二本松桜めぐり花めぐりというパンフレットをダウンロードして持って来ている(こちら)。今からだとそれほど欲張っては見られないので、主なものに的を絞ってみた。 |
桃前の桜 樹齢約500年のエドヒガン。 道路わきすぐの所に立っている。 桜の枝が道路を覆っているようだ。 全然よくわからなくなってしまったが、 これが桜の幹。 で、幹の空洞になった根元あたりに 小さなお地蔵さんがいらっしゃる。 こちらは、道路下向かいにある田んぼまで下りて、 桜を正面から撮影してみた。 最初、桜のまん前ににあるカーブミラーが 邪魔だなぁと思ったが、 よく見てみると、いかにもこの桜らしい ポイントのように見える。 |
いくつか見たい桜をピックアップしたが、岩代に近くて絶対にはずせないと思っていたのが桃前の桜と愛蔵寺の護摩桜である。 ところが、桃前の桜に行くには、国道459号をすっかり逆戻りして、合戦場のしだれ桜の前を通りすぎて行かなくてはならない。 えらく無駄なスケジュールになってしまったが、もともと回れないと思っていたので仕方がない。 合戦場の桜の前は渋滞になっている可能性があったが、他に道を探すとなるととんでもなく遠回りになる。おそるおそる合戦場の桜前に行くと、駐車場に入れない自動車がずらりと道路に駐車していて、そこから人があふれ出し、無法地帯のようになっていた。 が、ピタッと止まる渋滞にはならず、周辺をノロノロと進んだ程度で済んだ。 分かっているのは桃前という地名のみなので、またしてもナビに桃前と住所で入れて案内してもらう。 そんなわけで、どういうルートで行ったのかさっぱりわからない。申し訳ありません。 とにかく、合戦場の桜を通り過ぎ、国道349号へと左折して、やや走り、県道303号に右折して入ったと思う。303号から桃前に行くには道案内があって、桜のイラストのついた看板も曲がり角に出ていた。たぶん、県道303号に入れば迷わずに行きつけると思う。 あと0.6キロと書かれたイラスト看板の前を通り過ぎ、山中の細い生活道路を進んで行くと、突然、道路の左側に巨大な桜の木が現れた。 間違えるわけがない。あれが桃前の桜に違いない。 いや、すごい存在感だ。道路に向かってわさわさと歩いて下りて来そうな感じさえする。 駐車スペースなどないので、邪魔にならない場所に路上駐車。 桜のすぐそばに昔はちゃんとペンキか何かで書かれていたらしい看板がすっかりはげて下地だけになった所にはげる前の印刷の写真のコピーみたいなものが貼り付けられていて、これが桃前の桜だと確認することができた。しかし、なんとかしろ、この看板。桜が立派なだけに、哀れになってしまう。 見上げると首が痛くなるくらいの桜なのだが、なにせ道路のすぐ脇に立っているので、うまいこと写真に収めるには道路を戻るか進むかするくらいしかない。 いや、待てよ。 ちょうど道路を挟んで下がわに田んぼがあって、そこでトラクターが作業していた。そのトラクターが作業を終えて戻って行くようだ。 おお、下の田んぼに出る道があるんじゃないの。 トラクターがすっかり去ってしまってから、いそいそと下の田んぼまで行った。 そこまで行くと、桜の正面全景がよく見えた。 ちょうど背景に杉がきて、桜のピンクが浮き出る。 隣にある濃いピンクの若い桜と一緒になって、ものすごくボリュームのある桜木に見えた。 我々がこの桜を見ている時に3組くらいの桜めぐりの人たちが来たのだが、田んぼまで下りるのは我々くらいだった。もっとも、農繁期なので農作業の邪魔になるような行為はなるたけ慎まなくてはならない。作業が終わってから見に行ったので許してくださいませ。 桜を通り越した方向から撮影。手前の自動車は我が家の愛車「森さん」号。 |
護摩桜 樹齢約800年の紅枝垂桜。 お寺の境内にスポッという感じで納まっている。 小さいながら、枝の広げ方が優美で、 しっかり四方に張り出た枝から 小枝が枝垂れている。 右下あたりに写っている石灯籠が だいたい人と同じ大きさだ。 さすが、紅枝垂。 ピンクがとても濃い。 細いのだが、デコボコとした幹。 この細さで800の年輪が刻まれているとすると、 かなり固い木であるはずだ。 |
愛蔵寺の護摩桜は、樹齢約800年のベニシダレザクラ、というから、実はかなり期待していた。 追猪の桜、伊三郎桜、桃前の桜と、3本巨大な桜を見てきているので、樹齢800年ともなると、どれだけ大きいのだろう、と思ったのだ。 愛蔵寺に行くには、国道349号まで戻る必要がある。途中に道の駅ふくしま東和があるので、そこでトイレ休憩。そこまで行けば愛蔵寺までの道がわかると思ったのだ。 ところが、愛蔵寺への道はデカデカと案内看板があった。道の駅の向かい側の道に入ればいいらしい。これなら迷うこともないだろう。 休憩のあと、案内の通りの道に入り、しばらく進む。するとまた案内があったので右折。右折って、げげ、ものすごく道が細いんですけど。 しかも、左側の民家からおばあちゃんが出てきてすれ違いに困っている自動車を見物しているんですけど。それはそれで邪魔なんですけどぉ。 ともかく、愛蔵寺に行くにはどうやらこの道しか無いらしい。おそらくこの自動車が右往左往するのは、春の数日の風物詩となっているのだろう。できればその春の数日のために、道をもうちょっと広くして欲しいんですけど。 そこを通り過ぎると、すぐに愛蔵寺の文字が左側にあり、入ると10台くらいとめられそうな狭い駐車スペースがお寺の一部のようにあった。 ところが、桜を見に来る自動車の数のほうが多いし、出入り口が狭い1箇所しかないので、ここでも自動車がジタバタすることになる。それでもなんとか駐車して、期待の護摩桜を探した。 で、唖然とした。 護摩桜って、これかい? 今までの巨大桜を見慣れた目には、その桜は盆栽に見えた。 あらまあ、ちっちゃい。 もしかして、鉢植えか?というくらいちっちゃい。いや、それは言いすぎとしても、桜というにはかなり小さいんじゃないだろうか。これで樹齢800年だと?むしろ、そのほうがびっくりである。どこをどう操作すると800年も生きてこの大きさですんでしまうんだろう。 一番下の枝はきっとかがまないとくぐれないくらいの低さだし、幹は太い部分でもきっと私が抱きかかえられるくらいの太さだ。 それでもあちらこちらに支えがされていて、この桜がお年寄りなのだと分からせてくれる。 きっとお寺が何代にも渡ってこの桜を大切にしてきたのだと思う。800年生きてもなお、紅色も濃く、綺麗に咲き誇っていた。 |
愛蔵寺は細い道と入りづらい駐車スペースで苦労したのだが、帰りもやっぱりすれ違いにジタバタすることになった。 ここから先は特に行きたい桜は考えていない。 となると、帰り道を考え、途中に温泉がある方向に進みたい。すると、どのみち二本松市街に入ることになる。では、二本松市街の桜を少し見て行こうか。 市街の桜の咲きかげんを占うつもりで、本久寺のしだれ桜にまず寄ってみることにした。 |
本久寺の枝垂桜 樹齢約350年の枝垂桜。 ほとんど散り果てて、 葉桜になりかかっていた。 満開であれば、ふんわりとした姿で とても綺麗な桜だろう。 |
本久寺はナビに入れるとすぐに道案内してくれた。と、いうことで、どういう道を走ったのか、さっぱり記憶にない。 あとで地図を調べると、県道62号を利用して二本松市街に入り、JR東北本線をまたいで、国道4号に出る直前で斜めに右折して、根崎という町内に入った。あとは、東方ゴムという会社のごく近くに本久寺があるので、もしわからなければ道行く人に聞くといい。 市街にはいって、あれれ、と思っていたのだが、本久寺の桜はすでに終わっていた。ここに至るまでの桜たちも葉っぱが目立っていたので、もしかしたら見ごろを過ぎているかもなぁと思っていた。思っていたので、それほどショックでもなかった。 それでも、わずかに咲いている桜を撮影。 お寺の桜ということもあって、お墓を守っている桜だ。 |
本久寺の桜が見ごろを過ぎていることで、二本松市街の桜は回ってもいい結果は出ないだろうと思えた。 時刻ももう3時を回っている。新潟に戻る事を考えると、今回の桜めぐりはこのへんで終了するのがいいだろう。 あとは、温泉に入って帰るだけである。 携帯サイトで日帰り温泉を調べ、岳温泉のお湯を味わって新潟への帰途についた。(温泉のレポはこちら) それにしても、本当に福島は桜の名木の集まった土地である。 これを全て回っても、まだまだ知られざる名木がある木がする。 有名木だけでなく、自分の好みに合った1本を探すことがのも福島の桜めぐりのいい所かもしれない。 まだまだ来年も再来年も桜の季節には福島に行かなくてはならないらしい。 |